- Grafton
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>>8
クビだ、ナイト
夜中に地震かと思って飛び起きたらグラフトンモンスターが暴れてた!
これが本当の「グラ!布団」
なお、グラフトンという地名は前作の舞台でもあるマサチューセッツ州にも存在する。(というか、米国内はもちろんイギリスやアイルランド、英国領の地域すべてにある。ついでにいうとお隣バージニア州にもある。)
場所はネイティックの東にあり、作中ではギリギリマップに収まらないぐらいのところにあるが、位置的に輝きの海に呑まれていると考えられる。
さらにこのマサチューセッツ州のグラフトンにはアメリカ空軍の生産施設(Air Force Plant 63)があり、1955年から1983年にかけて50000トンもの精鉄を供出していたそうだ。
この時代はアメリカ軍のための大規模な金属供出計画があり、オハイオ・クリーヴランド(Air Force Plant 47)と並んでこの施設が最大の供出量だったそうだ。
ちょうど輝きの海は軍需工場らしきものが密集していたため中国軍はそこを叩こうとしたのでは、という考察もあるので本当に制作側はそう意図していたかもしれない。
76から北上していくとそのうちこの場所(駅)にたどり着くことができると思うが、このグラフトンは実入りが良い
フュージュンコアがリポップする場所、コンバットショットガンやポンプアクションショットガンが固定で置いてある場所もあり、近接武器のバットも置いてある
解体場所も街のあちこちに点在し、敵はキャップや308口径弾等を落としてくれるスーパーミュータント
定期的にイベントクエストも開催されて経験値とキャップと少量の物資を稼ぐことができる
所属が同じなので滅茶苦茶に稼ぐことはできないがベンダーも居て、不用品を流すことでさらにキャップを稼げる
また、学校?体育館?の上に居る王冠のスーパーミュータントは伝説級化することがありちょっとしたレジェンドを夢見て楽しむ事もできる
総じて序盤行ける距離の場所としては中々実入りが良い場所であり、フラットウッズもいいけどグラフトンも悪くない場所だとは思う
最大の欠点は寝床が地べた置きなので病気の危険性がある、水が有毒の水であり水分補給は他所or持ち込みになる…ということくらいか
近くに他のロケーションも点在している(特に農場がちらほらある)のでそちらに足を出向くのも良いだろう
クラークスバーグ、フィルーピーの戦場墓地、ウェービー・ウィラーズ・ウォーターパーク、グラフトン鉄鋼、プリケッツ砦と、毒の峡谷のほぼ全域がこの市の管轄。
ワトガやフリーステイツクラスの大勢力なのだが、ベンダーが存在しないためお金は使えない。
毒の峡谷で数少ない街といえるロケーションの1つ。
マップ北部、特にメインクエストでモーガンタウン空港付近に来たレジデントは突如グラフトンラジオに周波数を合わせるというクエストが発生して向かう事になる。
監督官のホロテープを手に入れるためにも訪れる必要がある。
有毒な水の川沿いに広がる廃墟群だが、建物の密集度が高く、かつては多くの人が住んでいたことが伺える。
スコーチによるデモ行進やグラフトンモンスターのパレード等、他のロケーションとは変わった趣向のクエストが発生する。
スーパーミュータントが確定で湧き、グラフトンを占領している為か上記のクエストをレジデントが手をつける前に潰してしまう事があるので、もしクエストが発生していたら素早く立ち回ろう。
「こちらグラフトン市長。終身市長だぁンフフ……!」
現実のグラフトン市はウェストバージニア州北部に位置し、モーガンタウンの南、クラークスバーグの東、モノンガーの南東にある。それぞれの都市の場所をFo76のアパラチアと比べると、大きく改変されていることがわかる。これは毒の峡谷の>12が推測しているように、ゲームデザインによるものだと思われる。
ゲーム内にあるシティサイン(Welcomeの看板)は史実に基づいており、グラフトンは1856年に設立された。鉄道と幹線道路が交わる場所であり、交通の要衝として栄えた。
南北戦争では主戦場とはならなかったものの、北軍の兵士が独立派に殺害される事件(初めて戦死した北軍の兵士)が起こった。また州中から遺体を集めて埋葬したため、同州唯一の国立墓地がある。そのため戦没将兵追悼記念日を初期から執り行っていた都市の一つでもある。
もう一つの顔として、グラフトンは女性の社会運動でも知られており、ウェストバージニア州平等参政権協会および「母の日」の発祥の地である。南北戦争ではグラフトンにゆかりのあるアン・ジャーヴィスが「母の仕事の日 Mother's Work Days」と称し陣営問わず負傷兵の治療にあたった。
アンの娘であるアンナ・ジャーヴィスは母の死後、1907年5月12日に母を偲ぶための礼拝を日曜学校で行い、白いカーネーションを贈った。そして(シティサインにもあるように)1908年5月10日にグラフトン市内の教会ですべての母を称える式典を開催し、参加者へ同じく白いカーネーションを贈った。これが今日の「母の日」の始まりとされる。母の日は翌年にはほとんどの州へ広まり、1910年にウェストバージニア州が祝日として認定した。更に母の日は世界中に広まり、日本へは1930年代に伝播した。
余談だが「母の日」自体は1870年代から存在し、ジュリア・ウォード・ハウ(リパブリック讃歌の作詞者)はアンの活動に即発されて「母の日宣言」(反戦と女性の団結を謳う)を発表した。実際にボストンで数年間は遵守されたが、普及することなく消滅した。
現在の人口は5千人程度と小さな街ではあるが、ウェストバージニア州の歴史におけるグラフトンの存在はグラフトンモンスターのように大きいのだ。