ポール・リビアの家

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1.名無しさん2019年03月13日 09時36分

ボストンに実在する観光スポットで、無名のロケーションのひとつ。独立戦争の「レキシントンコンコードの戦い」で活躍したポール・リビアが住んでいた家。フリーダム・トレイルの途中でこの家を発見することができる。
オールド・ノース・チャーチの入り口からオレンジの線に沿って右折するとスーパーミュータントと2匹のミュータントハウンドが佇んでいる場所が左手にある。その反対側、中に入ることのできる家がポール・リビアの家だ。
玄関口には説明文が書かれている。内容は以下の通り。
「1680年に建てられたこの造建築は、ボストン全体で最も古い建物です。この家は1770年に著名な愛国者ポール・リビアが購入しました。ポール・リビアは家族と(16人の子供を含む)一緒に1800年までこの家で過ごしました。彼がサミュエル・アダムスとジョン・ハンコックに、英国兵氏が自分たちを捕らえて民兵の武器庫を制圧しに向かっていることを警告するために、レキシントンコンコードへ有名な真夜中の騎行を行ったのは、この家に住んでいる時でした」
家の中にはメンタスが置いてあるだけ。

2.名無しさん2019年03月14日 10時28分

>>1 の家の説明文通り、ポール・リビアとはシェム・ドラウンジョン・ハンコック同様に実在した人物の一人。
かのボストン虐殺事件とボストン茶会事件という、戦争の引きになった二つの事件をその目で見た事でそれが一介の細工師だった彼を伝令の道に走らせた。
特に「オールド・ノース・チャーチランタンの合図」の発案とそれを元にハンコック、サミュエルらと共にサマービル、メドフォード、アーリントンの通りを馬で駆け抜けながら伝えた「イギリス野郎共が来るぞ!」の発言は有名で、後者は今も尚愛国者の象徴として語り継がれている。
戦後だけでなくあらゆる属の加工業により財を成し、彼自身もマサチューセッツ州会議事堂の屋根の葺き替えやUSSコンスティチューションの船体補強を手掛ける等、1818年に亡くなるまで精力的に働き続けた。
彼が興した会社「リビア・コッパー&ブラス」は現代でも「リビア・コッパー・プロダクツ」と名を変えて、アメリカでも指折りの属加工メーカーとして存続を続けている。

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4.名無しさん2019年03月17日 12時03分

ポール・リビアの名を一躍有名にしたのは詩人ヘンリー・ワーズワース・ロングフェローがこの件を題材にした詩「ポール・リビアの騎行」を発表したことである。彼は南北戦争時にこの愛国的なエピソードを掘り起こすことで、北軍の奮起をはかったとも言われる。

余談ではあるが、ポール・リビアと同行者ウィリアムドーズレキシントンでアダムズとハンコック警告を伝えることには成功したものの、その後イギリスのパトロールに発見され逮捕された。コンコードまでたどり着いて情報を届け、民兵(ミニットマン)達に迎撃の準備をさせたのはレキシントンで新たに合流したサミュエル・プレスコットという若い医師だったという。
だが、人々が知るのはロングフェローの詩とそれに出てくるポール・リビアの名だけであり、実際にコンコードを救ったプレスコットの名は誰も聞いたことがないだろうとSF作家アイザック・アシモフは「詩の影響力」を題材としたエッセイで述べている。ちなみにこのエッセイにはゲーム内のボストンにも現存する”オールド・アイアンサイズ”ことコンスティテューション号の保存に大きな影響を与えた詩のエピソードも紹介されている。

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