ハーパーズ・フェリーの武器庫

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コメント一覧(3)

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3.名無しさん2022年10月23日 14時47分

>>1
実は入り口近くのフェンスに密着しているプロペラが回転しているコンデンサのような機械の太い部分は乗れる判定があるので、そこから美味いことジャンプすれば有袋類ジェットパックが無くともフェンスを飛び越えて中へ入れる。
帰りは先ほどの機械のすぐ近くにあるトラック天井からフェンスに飛び乗れるのでそこから出ることは可能だ。
さながらパルクールのように出入りするさまは少しかっこいい。

2.名無しさん2022年05月28日 02時01分
実銃武器

実在するロケーションで、かつては兵器工場だったのでハーパーズ・フェリー兵器廠、造兵廠とも呼ばれる。1799年に建設されたアメリカ2番目の兵器工場(最初はマサチューセッツ州スプリングフィールド造兵廠)で、米国初のマスケット銃"スプリングフィールドM1795"や米国初のライフルドマスケット"ハーパーズ・フェリーM1803"などが生産された。

1859年10月16日には全米を震撼させた事件の現場となった。奴隷制度廃止運動家のジョン・ブラウンは黒人奴隷を解放するために反乱を企て、彼らを武装するためにハーパーズ・フェリーの武器庫を襲撃した。しかし襲撃は失敗し、捕まったジョンはバージニア州(奴隷州)の裁判で絞首刑となった。
彼はそれ以前から奴隷制度擁護派を殺害するような過激派テロリストでもあったが、奴隷制に反対する北部の自由州からは殉教者として評価された。本事件は奴隷州と自由州の緊張を高め、南北戦争の原因ともなった。

南北戦争ではハーパーズ・フェリーは激戦地となり、武器庫は徹底的に破壊された。その後再建されることはなかったため、武器庫は現存していない。
唯一破壊されずに残った消防署は「ジョン・ブラウンの砦」と名づけられ、現在も観光することができる。

1.名無しさん2022年05月28日 01時56分

ハーパーズ・フェリー市街の南にある武器庫。最寄りのロケーションバローズ南で、シェナンドー通りに面している。フリーステイツが所有していた。
入場にはマスターホロテープが必要。建物はコの字に配置されていて、ちょっとしたダンジョンとなっている。建物内は狭いが、強力なマシンガンタレットが複数設置されている。中Bucket Listの撮影対象のひとつ。

メインクエストComing to Fruitionではローリーターミナルにアクセスすることになる。Bucket Listの撮影は敷地外からでも可能。なお有袋類ジェットパックがあれば無視できる。

ホロテープ自分達の身を守る」、メモジェドの手紙」、ニラジのターミナルローリーターミナルがある。

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